系図 : 仙洞田氏と河西氏

sample

 上記の系図の原本は、南部町で諏訪明神社の神官を務める、若林家が所蔵している。この系図は、もともと仙洞田氏を明記するために作成されたもの だったが、河西氏の系統も記載されている。「源平盛衰記」では、河西氏は甲斐源氏に数えられている。加賀美氏の祖である遠光公から下ると、加賀美遠光→南 部光行→実光→時実→義元→義行→義重→為重→重時→則時→元時→元秀→定秀→宗秀→河西満秀、となる。加賀美遠光公は源義光公のひ孫で甲斐源氏加賀美氏流の祖である。その末裔である満秀は、所伝では桓武平氏葛西氏流と も言われているが、定かではない。いずれかの文献に、記載されているとは思われるが、発見しだいこのサイトに載せる予定である。 「かさい」は甲斐国では地 名に因んで、河西と表記する例が多いが、甲斐国以外では笠井と記載されている例が多い。大まかに源姓河西と平姓笠井に区別される。奧州の葛西は平姓であ る。
 尚、諏訪明神社は上下両社があり、新羅三郎義光公が勧請したと伝えられ、正中二乙丑年(1325)南部家十代茂時公によって再興、その後嘉吉三癸亥年(1443)7月28日、南部元時公が再び造営した。
 

ƒy�[ƒWƒgƒbƒv‚Ö
Copyright (C) GenPei Kasai All Rights Reserved.